エッセイ目次
 

No131
2000年3月4日発行


キミ子方式を楽しむ異国の人たち

 昨年の九月から、グレッグ・インターナショナル・スクール幼稚園で絵を教えることになった。月に一回、四、五才児、十四・五名である。
 十月から勤めることになった、コンピーターデザイン専門学校の面接試験のために、理事長さんと面談している時のこと。何かの話から「私はニワトリの置物のコレクションをしています」と言ったら、
 「僕は、本物のニワトリを育てるのが趣味です。今、ヒヨコが十羽ほどいます。僕は小さい頃から動物が好きで・・・」と言う。
 「えっ、この大都会に?」
 「はい。でも、近所や父兄から「不潔だ」なんて苦情がきていますが・・・」
 場所は、アノ自由が丘。駅から歩いて文字通り三分くらいのところ。半信半疑で理事長さんの案内で、ニワトリ小屋までついていった。小さな校庭の横に、畳二枚を横に並べたような天井の高いニワトリ小屋があり、両手のひら大のニワトリが十羽ほど、元気いっぱい動きまわっていた。
 「あれとこれがオスで・・・他はメスで・・・」と、うれしそうに解説する理事長さん。そして「うちにインターナショナルスクールという幼稚園があるんです。子どものためにも生きた動物とふれあうことはとても大事だと思うんです。
 「私、ニワトリの絵を教えたいんです。本物のニワトリがいるなんてすばらしい!」と〈ニワトリ〉で意気投合し、私はさっそく、その月から月に一回、絵を教えに通うことになった。


 「昼過ぎの十二時半から二時間を授業時間として使わせて下さい」という私の条件に、幼稚園の先生達は「幼児は二時間も集中しませんよ」と不安がった。
 教える時の言語は、英語。アメリカ人保母さん二人と男性保父さん一人、日本人の保母さんの四人が担当だ。日本人の保母さんが通訳をしてくれることになった。
 はじめての〈色づくり〉の授業が終わった時、フト、今までにないことを試してみたいなと思った。彼らはまだ文字が書けないから、名前も感想文に描けないという。だったら話してもらおう。
 全員の作品を廊下に貼って、さあ、プレゼンテーションだ。
 アメリカ人保母さんが、プレゼンテーションの仕方を、表情、動作、セリフで模範を示した。
 自分の作品を指さして全員を見渡し「This is my picture」と言う。全員が拍手する。先生が作者の名前を書き入れる。「タイトル オブ マイピクチャー イズ『ビューティフルカラー』」とタイトルを言って、全員が拍手。先生がタイトルを書き入れる。という段取りになった。
 「マイ モーストフェーバリックカラー イズ・・・」そして、作者は自分の作った色の中から、最も気に入った色を指さす。すると発表を聞いている子ども達が「グレート」「ビューティフル」「oh!」などと大拍手する。
 それを一人一人の四、五才児、十四・五名全員が堂々と誇り高く、教室にいるみんなを見渡しながら言うのだ。
 「外国の子って、小さいころから自己主張するよう訓練されているからでしょうね」と保母さんは言ったが、私はキミ子方式で絵を描いた後なら、日本の幼児でもできるのではないかと思い、その夜、保育園でキミ子方式を教えているNさんに「ためしてみて」と電話した。
 〈モヤシ〉が描き終わったあと、また一人一人タイトルを発表してもらった。その時は「イヌ」とか「怪獣」とか変わったタイトルを言う子がいても、なんらかわり無く盛大な拍手。「〈どんなタイトルも認める〉ところがすばらしい。日本の子だったら「そんなのヘンだ」というにちがいないのに」と、仙台から英語の勉強をしたくてかけつけたTさんは感動する。
 〈イカ〉がテーマの時を、私は最もたのしみにしていた。ちょっとからかってアメリカ人保母さん二人に「イカは好き? イカを食べたことある? イカのテンプラはおいしいのよ。イカの刺身はすごく旨い」と話すと「キライじゃないわ」と話しながら、結局、イカを食べたことがないのがわかった。
 絵を描き終わったら、四才の少女がビックリしたように私に聞きに来た。日本語で「ねぇ(イカを指さし)、これって、ケーキの前に食べるの? ホントにケーキの前に食べるの?」
 私はおごそかに答える。
 「えぇ、ケーキの前に食べるのよ」と言ったとたんに「キャァー」という大声と共に教室中を走り回る。そして、又、「ねぇ、ホントにケーキの前にこれ(イカ)を食べるの?」「そうよ、ケーキの前に食べるのよ。おいしいのよ」「キャアー!」と両手をひろげて教室中を走り回る。それを何回も何回もくり返す。
 彼女にとって、メインディッシュに、このグロテスクな形のイカを食べるなんて信じられないことなのだ。


 九月の〈色づくり〉からはじまって、十二月は〈毛糸の帽子〉が終わった。最初に〈幼児は二時間の集中は難しいのでは?〉という心配も、イカの絵を描いた頃から、誰も言わなくなった。
 ニューカレドニアから帰ってきた二月と三月は、いよいよニワトリを教えられると、はりきっていた。
 ところが
 「ニワトリは大きくなって、凶暴になってキケンです。子ども達に何かあると困るので、別のテーマにして下さい」と通達があった。
 うーん、残念。でも、私の授業は、理事長さんとの話し合いで強引に入れてもらったので、ここは一歩下がって「二月は外で〈空〉」を描いた。そして三月は〈イチゴ〉に決めた。
 二月に会ったニワトリ達は、九月の頃とはくらべものにならないほど巨大なニワトリになっていた。大きなニワトリ小屋のせいか、今まで見たこともないほど大きなニワトリだ。特に八羽のメスは毎日タマゴを生むという。あの九月の頃のかわいいヒヨコの面影は全くなかった。こんなに大きかったら、幼児達に恐怖を与えるかもしれない。でも仲良くさわれたらステキなのになぁ・・・と、四月以降に期待している。
 一方、十月から勤めることになったコンピューターデザインスクールは十八才から二十代くらいの若者たち。中国人、台湾人、韓国人、ギニア人、その他外国人がいて、日本の若者達も彼らに助けられてシャンとしている。
 絵を描きながらの雑談が楽しい。中国映画のすばらしさを私が語って「中国は、今、いい国ですか?」などと、恐ろしいことを聞いたら「いい国ですよ」派と疑問を持つ派に分かれて、議論になったりした。
 「美大に入りたかったけど、美大を出ても食べられないので、コンピューター学校に入った」という中国人は、絵が描ける人なのでキミ子方式に、なかなかノレない。すぐ勝手に自分流に描いてしまう。そして、他の人の作品ができあがったら「自分のはダメだ」とがっかりする。いつになったら、はじめからキミ子方式で描いてくれるのかたのしみである。
 ギニアから来ている生徒には「私、今フランス語を勉強しているから感想文をフランス語で書いて」とお願いしたら、フランス語で書いてくれている。
 外国人と日本人をおおざっぱに分けると、外国人は「今日は新しいモノの見方を教わった。知らなかった事を知って嬉しい。勉強になった」という意味の文だが、日本人は、今日の自分の作品のできばえが、うまくいったかどうかばかり気にする文が多い。


 先日、朴(パク)さんという、鳥取県の大学院生が高速バスでキミコ・プラン・ドウにやってきた。「修士論文に、ぜひキミ子方式の事を書きたい」とアートスクールに見学にきたのだ。
 「私はキミ子方式で癒されたから『キミ子方式における療法的意義に関する一考察』という発表をするんです」とレジュメをくれた。
 「私からアドバイスを一つします。キミ子方式について発表すると、きっと否定されると思いますよ」と、今までの経験を踏まえて話すと、その時、彼女はニッコリしてすかさず言った。
 「私は、たくさんの人に、いっぱい褒めてもらい癒されましたから大丈夫です」
 その、さわやかさに、呆気にとられた。そして、胸にドーンときた。「あっ、あなたはキミ子方式の心棒をおさえている人だから大丈夫ね」。
 女は『絵のかけない子は私の教師』(仮説社)の第一章をハングルに訳してくれるそうだ。


このページのTOPへ