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○無心で描いた頃がなつかしい
『絵のかけない子は私の教師』(仮説社)は1928年に出た本である。私の処女出版。そのグラビアに、当時勤めていた、多摩三小(東京都)で授業をやった時の"ぶどう"の絵が載っている。その"ぶどう"の絵が、ミサワホームの社長さんのお嬢さんの作品である。そのことは、その本を見た多摩三小の仲間が教えてくれた。だから、新聞や週刊誌でミサワホームの広告をみる時、チラリ、チラリと彼女を思い出す。
何年か前、確か九州行きの飛行機の中でのことだと思う。飛行機の中では、たいてい新開を読むか、週刊誌を読む。偶然とりあげた週刊誌に、ミサワホーム社長、三沢千代治氏のインタビューが、大きな顔写真入りで載っていた。しかも、家族の紹介や自宅の住所まで載っている。当然、家族の名には、懐かしい三沢千恵の名があった。
私はさっそく手紙を書いた。その後、その年の年賀状が三沢千恵から届いた。
「今、玉川大学の美術科に入って織物をやっています。小学校の時、先生と一緒に無心で絵を描いた頃がなつかしいです。今はもう、あの楽しみはなく、むしろ苦しみの方が多いようです。先生の本はどこの出版社から出ているのですか?」という趣旨であった。
私の本『絵のかけない子は私の教師』の中の三沢千恵は四年生。せいいっぱいの絵と、せいいっぱいの文章が載っている。当時は苦しみなんてなくて、今の充実感があるだけの文である。大学に入っても、キミ子方式をやったらいいのに。織物こそ、となり、となりとキミ子方式なのにと思った。
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