エッセイ目次

No22
1991年2月4日発行

   
   


ニュージーランドの柳の下で


   
   

 1990年、ニュージーランド・フティヤンガにて。
 最初のホームステイ先は、大きな谷にある八軒のコミューンの一つ。私の住居は、果樹園の中のいちぢくの木の下のテントだった。
 裏には小川が流れていて、そこが洗面所。
 「トイレはお好きなところへ」と、トイレットペーパーのロールを一つプレゼントされた。
 果樹園には、オレンジ、リンゴ、スモモの木が連なっている。スモモの種類が何種類もあることを知った。黒猫と目のまわりに茶色のまるい模様のある子犬が走り回っている。畑には、レタス、キューリ、トマトがどっさり。
 23人の、・キミ子方式を楽しもう・ツアー客を送り出して、次のホームステイ先は、海の見える丘の上に住む、建築家夫婦の家に変わった。
 十畳ぐらいのベットルームには、ダブルベットがドカーン。海まで歩いて三分なので、毎日海へ。
 そして、三軒目のホームステイ先は、日本人一家、伊藤家のガレージの中の急ごしらえのベット。 壁には魚の絵がかかり、テーブルの上にはコップに入ったカーネーションの花とセロリの葉が、私を 迎えてくれた。

   
   

 さて、1991年1月5日はスティママの伊藤エリ子さんの乗馬練習日である。
 その日は、真夏の太陽がガンガン照りつけているのに、とても風が強く肌寒い。
 馬場は車で三分の町はずれ。とびぬけた大木が何本も取り囲んでいる広い敷地。グレタというオランダの元薬剤師が乗馬の先生。先生一人とエリ子さん用の馬だけが待っていた。
 私の乗馬歴は、引き馬三回。乗馬一回で心細いので、今回は見学だけにしてプラムやリンゴの木のある敷地内を散歩し、日光浴をすることにした。
 連なる大木が音をたててしなっている。「あの大木何って名前?」ってエリ子さんに聞いたら「ニュージーランドの柳の木」だと教えてくれた。
 ニュージーランドの柳の木ってポプラににているなぁと、風でジャラジャラ揺れる木に近づいた。
 その時ふと、二ヶ月程前にお会いした、かこさとしさんの話を思いだした。
 「ポプラの葉が、なぜ涼しげに見えるかというと、葉柄が平たくなってないので、上下には揺れず、左右にしか揺れないからです」
 福島県からの帰りの電車の中で、かこさとしさんの大きなやさしい手つきで、ポプラの葉の動きを実演してもらったのだ。
 葉を一枚とってみて驚いた。加子さんの話そっくり。葉柄の断面図は二等辺三角形・△・だ。多くの葉は、平べったいのだ。 @これはポプラだ!この葉柄が何よりの証拠だ。
 かこさんは「目が緑内障で、あと六年くらいしかもたないので、いそいでいるんです。」「でも、僕の目って都合が良くて、美人だけは見えるんです」ということだったけど、お元気でしょうか?

   
     かのこさんと御一緒したのは「平」から「上野」までの2時間。
 10月の夕方、JR特急「スーパー日立」は、左側に夕暮れの海。右の山の上には、真っ赤な車両に なる。左右の車窓が、くっきり二つに別れた色あいの中を電車がつっぱしる。やがて右側と左側の色がとけあい、夕闇にのまれ、上野駅につく頃には、真っ暗闇になる。
 私はこの電車が気に入っていた。
 しかし、今日はその旅がつらい。恋をしてしまったからだ。妻子ある人に。
 むかし、むかし、私は結婚していた。結婚している者の傲慢さで傷つけてしまったということが、 日々がたつほどに気になっていく。そして探しだして、お詫びをしたかった。
 そして十五年後、再会できた時、私は独身になっていたけれど彼は妻子ある人になっていた。
 大好きな風景、気に入ってる絵や映画、それらを共有出来ないつらさが苦しい。
 車窓から見る夕焼けの海を、かこさとしさんが隣の席で一緒に眺めて下さらなかったら、あんなに今日の風景が心に入ることは無かっただろう。
 強い日差し。
 風が走り抜ける。
 ポプラの大木が揺れる
 プラムの木が揺れて、プラムがストン、ストンと落ちる。
 ニュージーランドは真夏。

 いつのまにか腰痛も気にならなくなった。
   
     

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