エッセイ目次

No26
1991年6月4日発行

   
   


働く女たち


   
     香川県の観音寺の近く豊浜という所に毎月一回絵を教えに通っていた。
 一九九一年五月一二日が最終の日であった。いつもは慌ただしく帰るのだが、最終だからゆっくり豊浜の海を見るために泊まることにした。
 翌朝、私と一緒に海を見たのは、福田ハルミさんと石川さん。共にそろぱん塾の先生である。
     
   

 二年程前、福田ハルミさんから熱烈なファンレターがきた。
 子育てのこと、そろばん塾のことが書いてあった。私の本『絵を描くということは』(仮説社)を「そろばんを教えるということは」に置き変えるとぴったりくるので、そろばん塾の仲間に、この本を宣伝している。ぜひ絵を教えに来て下さいと書かれてあった。それが実現したのである。
 「昔のように、できる子中心に、その子を見習って"がんぱろう"とけしかけている時代は終わったと思うの」「"級"や"段"を上がることだけを目指すのではなく、そろぱんというすばらしい文化遺産をどう楽しむかですね」
 朝陽の下で、四十才過ぎの働く女三人は、だいこんの花咲く砂浜の場一防に腰かけて、真剣な話をしていた。
 私は、昨日報てきた岡山市立オリエント美術館で、又いい本を見つけてきたと話始めた。
 「『美術館蔵品図録』なんだけど、いつも美術館めぐりをしていて、完全なる図録がほしいと思っていたのよ。こういう本、あるようでなかなかないのよ」
 「地方にはすぐれた人がいるわね。オリエント美術館の基礎になった作品を集めたコレクター安原真二郎さん。美術館案内や図録をつくった藤井純夫さん・・・」と私が美術館の話を始めると 「岡山の福武書店の社長さんは、ルノアールだかゴッホの絵を持っているのよ」と石川さん。
 「そうだキミ子さん。四国の中津万象園にもミレーの"たねまく人"があるの。見た?」と福田さん。
 「ミレーの絵というと山梨美術館じゃないの?」と私は記憶をたぐっていると
 「行きましょう」と福田さんが言う。
 考えていても仕方がない。行けばわかることだ。
 そうと決まると仕事をしている女たちは行動が早い。電話をかけて開館をたしかめ、石川さん運転の「石川珠算教室」と大きくかかれたワゴン車に飛び乗った。

   
     万象国というのは、丸亀二代藩主京極高豊侯によって作られた総面積一万五千坪。海岸を利用した純日本風の大名庭園である。 その一部に丸亀美術館がある。瀬戸大橋ができて、多くの観光客が訪 れるようになったそうだ。
 昼近いせいか、庭園にいる観光客は中年から初老にかけての男女がゾロゾロ。
 丸亀美術館の中はガラーンとしている。それでもバルビゾン派の絵が一室、そしてコローの「考える若い女」を含めて人物画の一室と計二部屋あった。
 私たちの他に客はなく、ときたま美術館に入るグループは場違いという感じでそそくさと出ていく。
 バルビゾン派の風景画は、色が暗いのか、会場の証明が暗いのか、それともパリでもてはやされた農村風景のその時代が暗かったのか。私の暗い青春時代に、心ときめかせて画集をめくったその風景画がそこにあった。ミレー、コロー、クールベ。ああ懐かしい!
 ミレーの油絵が二点あった。「肥料を播く康夫」と「風景」の絵。画面の二割ほどの夕焼け空がドキッとするくらいきれいな色だった。その他には「落穂拾い」「種まく人」のエッチングがあった。
 「バルビゾン派の絵って、赤がきれいね」と石川さん。
 「プロの絵はすごいわね。奥行きがあるわ」と福田さんは感心している。
 〔風景画だからなのに〕と思っていだけれど黙っていた。
 「これからは仕事をセーブして、たくさん美術館めぐりをしたいわ」とお二人。

 キミ子方式で楽しんでくれている人が美術館めぐりをし、美術史にのこる名画に接した時、どんな風に反応するか、今後が楽しみである。

   
     

TOPへ