エッセイ目次

No42
1992年10月4日発行

   
   


ススキの季節 大人の絵?子どもの絵?

 

   
   

 「無邪気な子どもの絵ほど、すばらしいものはありませんね」
 こんなセリフを聞くと、私は〈子ども時代に戻るなんて、どんなに天地がひっくり返ったって無理なのだから、子ども時代を懐かしがるばかりでなく、未来に希望を持ったら? 年をとればとるほど、すばらしい絵が描けるってものを〉という反抗心がフツフツとわく。
 大人と子ども、老人など、あらゆる年齢の人がごちゃまぜで、絵画教室はひらかれている。
 そこでは、大抵の場合、大人は子どもの絵にあこがれるし、子どもは大人の絵にあこがれて、両方が幸せになる。
 絵のテーマも、植物である(中でもデリケートな)草花などは、大人の方がピッタリ向いているし、動物のイカやザリガニ、カメなどは、子どもの絵の方が魅力的なような気がする。だから題材の配列を、何よりも気をつけている。
 大人と子どもが、かわるがわる楽しんでくれるテーマに。
 大人はネチネチと複雑で植物的。子どもはバーンと単純で動物的。こんなパターンが見えてきた。
 私が、小中学校で図工の産休補助教員だった時、小学生以上の子ども達とのつきあいが長い。一七校の学校を巡り、五千人以上の生徒を相手に授業をしてきた。
 その時、小学校四年生以上は、大人と同じだと思った。

 

   
   

○幼児から学ぷ
 私は、幼児は苦手である。小さな子どもは、日本語が通じると思えないし、顔はかわいいと思うけど、気まぐれで、めちゃくちゃで、平等な人間関係を保てるとも思えなかった。
 東京都多摩市に「バオバブ」−『星の王子さま』に出てくる木の名前−という名の保育園がある。
 玄米食の給食で、建物もふつうの四角のコンクリートではなく、摩河不思犠な空間がひろがっている。
 私はそこで、幼児に「毛糸の帽子」の授業をキミ子方式でやることになった。
 「毛糸の順子は、編んできた順に描きます。ボンポリをテンテンで描きます」と黒板に描いて説明する。
 「編み目をフアッ、フアッ、フアッぐるっと回って、フアッ、フアッ、フアッ、フアッ」と説明したら、いつの間にか幼児達は、私の声にあわせて「ぐるっと回って」と大合唱が 始まった。私は「ぐるっと回って」の大合唱に追われて「フアッフアッフアッ」とリズムをつける。そのリズムを息を止めて見つめている子ども達、終わるやいなや「ぐるっと回って」と大合唱。
 八回も九回もくり返して、黒板にもう描けなくなった私は「フアッフアッフアッ、おしまい」と大声で言うと「もっと−もっとぐるっと回ってしたい!」と大合唱。
 確かに「ぐるっと回って」の応援のおかげで、私の「フアッフアッフアッ」と、黒板に描くチョークを持つ手は軽やかで、踊りのようにワクワクした。
 でも終わらねばならない。
 「最後は、ヨコヨコヨコに描いて終わり」と大声をだして説明を終わらせた。
 子ども達は描き始めた。
 画用紙いっぱいギリギリまで描く。だから、余自分にと思って、画用紙を足すとそれに又、ギリギリまで描く。また余白分をと足すと、又、ギリギリいっぱい描く。私と子どもの追いかけっこ。疲れも見せず、顔中汗を流しながら、私の足す画用紙の中に描きつづける。長い長い毛糸の帽子がどんどん続く。
 〈この子たち、画用紙いっぱいに描かなければならないという強迫観念があるのだろうか〉
「疲れたでしょ。画用紙の方を切れぱいいんだから、そろそろやめよう」というと、
 「ダメー切るなんてもったいない。最後まで、いっぱいに描く」私は、天地がひっくり返ったようなショックを受けた。幼児というバケ者は、なにやら観察すると面白そうだと、あらためて考えていた。

 

   
   

 ○勢いで描ける植物の発見
 その頃、長谷川等自の障壁画「桜図」を智積院に見にいった。桜の木には感動しなかったけれど「松に黄萄奏図」という、松の木の下に秋の草花が描いてあって、その中にススキが描かれていた。
 「あっ、ススキは推でも描けそうなテーマだ」と思った。
 月見の友、ススキを知らない人は少ないし、どこでも気軽に手に入りそうだ。私の住む町には、駅の近くがススキ野原だった。
 私は多摩川の土手の近くに二十年近く住んでいたので、秋には川原がススキで枯れ色に染まる。その色がなんとも言えない良い色で、ふるさと北海道の色だなと思う。ススキの季節には、土手に上がっていつまでも眺めていた。
 夜の多摩川のススキ野原では、酒乱の夫から逃げて、よく隠れたものだ。背丈を越えるススキは、身を隠すのには絶好だった。

 一度は、赤ん坊を抱いたまま逃げて、つかまりそうになったので、ススキ野原に、赤ん坊を投げ捨て逃げた。ススキ野原はクッションになってくれるという安心感があった。
 私はススキの匂いと、おふとんの匂いと、似ているような気がする。

  さっそく東京に帰って、当時、水道橋の仮説会館でおこなっていた絵の講座で実験してもらった。生徒さんのほとんどは教師。
 ススキは、背の高い植物だ。そして茎も太い。草花は小筆で描くという範囲をこえる。中筆で、いそいで下から上ヘ、ぐんぐん描かなければ、ススキの穂を描くところへ行きつかない。
 茎を描き、穂は小筆でフサフサをくり返す。葉は大筆でエイッと勢いだけで描く。大人の生徒達は、穂を何本も描かなければ、ススキらしくないので「くたびれるテーマだ。同じ事のくり返しだからつまらない」という感想だった。
 でも、やはりススキは魅力的だ。人間の背丈ほどもある草花ってめったにないし、神経質に小筆で描かなくていい草花って貴重だ。
 その頃『音楽広場』に連載をしていた。幼児から小学校低学年の子ども違が絵を描いていく過程を、たくさんのカラー写真と私の文で構成されていた。
 大人には好まれなかったススキだが、もう一度、子ども達にためしてみようと思った。子どもって、くり返しが好きだから、もしかしたら、子ども向きのテーマかもしれない。
 やってみた結果、大成功。
 特にススキの穂を「こっちに行こう」とか「ダーダーダー」とか穂の向きを自分勝手な方向に、フサフサフサのくり返しでどんどん描いていく面白くて、どんどん穂が伸びちゃって、やめられなくなった子もいた。
 私が小さい頃、弟と部星の壁に、戦争ゴッコのらくがきをした。あの感じに近い。陣地を決めて、そこから発射する飛行機や機関銃のさまを描くように・・・。
  子どもが喜んで、大人がつらいテーマの発見であった。

 

 

   
     

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