エッセイ目次

No53
1993年9月4日発行

   
   


こだわること

 

   
   

 キミ子方式は、「絵の描き方」と「何をテーマにするか」。この二つが重要なのだと主張してきた。
 今回、第12回キミ子方式全国合宿研究大会で発表された「空と海の絵を描いて、夏休みに生徒に絵便りを出そう」というテーマで"描き方"が発表された。
  空と海というテーマも、夏休み中に生徒へ絵はがきを出そうという主旨は大賛成なのだけど、その描き方が??と、こだわってしまった。

 

   
   

 四つ切大の一枚の画用紙を横にして、上と下にハガキ大のワクを鉛筆で描く。五枚いっぺんに空を描き、下に海を描く。その後、紙をひっくり返して、もう一度描き、はじめに書いた鉛筆の線にそって切るというものだった。
 「こうすれば、一枚の画用紙で、あっという間に、たくさんの絵はがきができて、生徒には喜ぱれるし、とてもいいですよ」と発表者が言われた時、会場中が喜びにわいた。 「わあ−それいいアイデア。生徒はたくさんいるし、たくさん描くって、たいへんだから、それ、いいね−」と。
 その時〈ちょっと待って〉と、四年前のある日のことを思い出してしまった
 キミ子方式の全国大会・沖縄大会後のことだったと思う。
 私の事務を手伝ってもらっている方が、ある朝、私の家にうれしそうにかけこんできた。
 「キミ子先生、私、沖縄にいるAさんから、沖縄の海を描いた絵ハガキが送られてきました!」と興奮している。
 「あっそう。よかったですね」と何くわぬ顔をしていたけど、私は実は知っていたのだ。誰からともなく言い出した、大量生産方式の"空と海"の絵はがき作りを。
 「私のために、わざわざはがき絵を描いてくれて、キミ子方式の絵ってステキですね」と大喜ぴしている姿に、私の息子と
「あの絵はがき、画用紙を横にして、空を描く人と海を描く人とに別れて、大量生産で描いたんだよね。僕、ウラ、知ってるもんね」と、こっそり私につぷやいた。
 私と息子は、ウラを知っているゆえに、心から「おめでとう、よかったですね。キミ子方式の絵ってすてきでしょう」と言えなかった。

 

   
   

 言えなかったことが、ず−っとひっかかっていた。
 この何かひっかかっるものがあるというのが、だいたい考える糸口になるので、私はしつこい自分を気に入っている。 今回の堂々とした発表で、私は思わず 「ちょっと、いやらしいやり方のような気がするのです。はがきをもらった人の喜んだ顔を見て、ウラを知ってる私としては素直に喜べなかったので、私に苦しい思いをさせる絵の描き方は、よくないと思う。〈いやらしいけどやる〉という意識のもとでやってほしい」と言って、大笑いになったのだ。
 実際に、絵はがきを出したい生徒がたくさんいて、一枚一枚描いてはいられない。そのために大量生産の方法として、版画や印刷、プリントゴッコなどが生まれた。
 キミ子方式による大量生産方法として考えるというところまでは納得できる。
 でも、あの画用紙の半分を描いてから、ひっくり返してもう半分を描くという描き方は疑問がのこる。
 新しい方法、新しいテーマを考えた時、いつも頭に浮かべる人がいる。バカなふりの演技のうまい人たちの事だ。
 私の頭に浮かぶ人も、楽しんで絵が描けるだろうか?
 学校の教室の中で「お客さん」と呼ばれている人、幼児などが、納得して喜んで描くだろうか?
「どうして、こう描かなくちやいけないの?」と彼らは質問してくるだろう。その時、ちゃんと答えられるのだろうか?
 「たくさんの人に出さなくちやならないから」「早くすますことができるから」という説明だけでは、納得しないだろう。
 「この描き方だと、描く私もたのしいし、受け取る人も喜んでくれるから」ではないと、他人にはおすすめできない。

 

   
   

○ぜいたくになろう

 絵を描いている私はたのしくなくても、それを見た人が喜ぶから・・・という事のキメ方は、他人の評価のために自分を犠牲にする考え方、と思うのは、大袈裟だろうか。
 この考え方で、今までの絵の描き方、構図→形→色という方法が生まれたのだろう。そして、この方法は自分の一瞬、一瞬の、納得しなければ体が動かせない人には通用しなかったのだ。
 もっと、ぜいたくになろう。描いている自分もたのしいことを第一に考え、自分が楽しいことは結果も良く、他人の評価もいい。そういう絵の描き方をめざしたのが、キミ子方式なのだ。
 「描いている時ね、たのしくて、こんな発見もあったのよ、観て下さい」という思いと共に、絵を他人に見ていただきたいものだ。
 大量生産をしたくなった時、時間を短縮したくなった時が、キミ子方式の考えからズレてくるようだ。
 キミ子方式のはがき絵の描き方も、はがき絵になることは全く考えず草花を一生懸命描く、そして、その絵にハガキ大の枠をあてて、絵はがきにして「えっ、絵はがきにもなるんだ」とうれしいのだ。
 三原色による〈色づくり〉も、三原色でいろいろな色ができる喜びにひたれる。そして、まわりの余分な画用紙を手でちぎったり、組み合わせたりして、台紙に貼って「あっ」とおどろく作品になる。
 はじまりから、過程までが充実感があるものは、どこでやめてもサマになる。いつ、誰に見られても、作者も、見る人も納得する描き方をめさそうじやないですか。
 そこで、どうしたら描いている過程も納得できて、大量の人に手渡しできる絵のテーマと方法はないだろうかと考えている。
 四つ切大の画用紙に、空の絵を描く。それをハガキ大に切ったら、12枚の絵はがきができるではないか。
 又は、はじめから「空も海もひろいよね」と横長の画用紙を与える。それに空を描いて、はがき大に切ったらどうだろう? などなど、ず−とこだわって考えている。
「描きはじめも納得できて、過程を納得できて、結果もいい絵をめざして・・・」と口ずさむ毎日だ。

 

   
     

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