エッセイ目次
 

No64
1994年8月4日発行


少女と仏像

 わずか20分か、2時間たらずで、誰が見ても、ほんものそっくりに絵が描ける。彫塑もできる。過去の経験も、遺伝も環境も関係なく、ましてや才能などは関係なく、年齢のワクを越えて、誰でもができてしまう。
 その方法を考えて、20年近くなるが、この方法を通して、思いがけない人々との出会いがある。
 U子さんは18歳。東京・目黒で私が主宰する、15歳から入れる美術学校・アートスクールの生徒である。  根っからの自由人らしく、何の前ぶれもなく、入学日に母親と共に、教室の椅子に座っていて、「あの人は誰?」と、スタッフと言い合ったものだ。そして、週二日来る約束をした。
 出会いの初日は「無限大への挑戦」というタイトルで、赤、青、黄色、白の四色をミックスさせて、自分の色をたくさん作ることにしている。
 無限の可能性に向かって歩みだす。人生の第一歩は、一筆一色。それが出来たら次の色のことだけを考えればいい。そして、隣へ隣へと連続させれぱいつの間にか、出来上がってしまう。
 どこにでも売っている既製品の水彩絵の具の、赤、青、黄色、白。だが、作者が筆に水をつけて、パレットでまぜ合わせた時から、その人だけの色になる。ましてや、赤、青、黄色、自をミックスさせる、その混ぜ具合は、人によってこうも違いがでるのかと驚いてしまうほどだ。
この三原色による色づくりの授業を終えたあと、U子さんは、私を正面から輝くような目で見据えて、大声で言った。
 「キミ子先生の人生の中で、最も大切にしているものは何ですか?」
 初めて発した彼女の声。小柄な身体に似合わず、カン高い声。まるで舞台での芝居のセリフのように、非日常な声とセリフ。あまりにも唐突で、答えの難しい質問。
 「エッ!」と戸惑って半歩後退する私に、ぐっと迫って、追い打ちをかけるようにもう一度言う。
 「私、知りたいんです。キミ子先生の人生で最も大切にしているものは何なのか。」

 そんなU子さんは、私の担当日以外が彼女の登校日なので、ず-っと会えずにいた。「U子さんは来るっていいながら、なかなかスクールに来ない」「彫刻がしたいっていうので、キミ子先生の彫塑の日にお誘いしていたけど、やっぱり来ない」と輝く瞳の出会いの強烈さに比ベ、存在のうすいニュースばかりが入ってくる。

 五月にスタートしたスクールは、三月で終了する。
 二月のある日「U子さん、うさぎの彫塑を作りたいと言っていたから今日お誘いしていたんですけど、今日もすっぽかされるかもしれないわね」と、U子さんの担当日の講師が言って、授業が始まり30分ほどしてU子さんは表れた。そして、うさぎの彫塑にとりかかった。
 「ねんどってたのしいね」と言ったあと
 「この間の日曜日、千葉の館山に言ってきたんです。すてきだったわ」とU子さん。
 「あ-、もう千葉には春がきて、春の花がいっぱいなんでしょう?」
 「えっ花もですけど、よかったのは仏像ですよ」
 「仏像?」
 〈18歳の少女には似合わないセリフ〉
 「仏像って?」と、びっくりする私に
 「キミ子先生ったら、仏さまの像ですよ。こんなに大きくて(と大きく両手を広げて)・・・とってもいい顔して・・・」。そして「私、仏像つくりたいんです。キミ子先生、仏像の作り方教えてくれませんか?」
 それは無理だと思った。私の考える絵や彫塑は、ほんもののモデルをもってくる。そのモデルは、自然界にあるものだ。仏像は、人間がつくり出したイメージのものだからだ。

 「私、どうしても仏像を作りたいんです。長い間、心に秘めていたことなんですが、お父さんの仏像を作りたいんです。父は、私が八歳の時、過労死したいのです。東大卒で朝日新間の記者で、世界を飛び回っていたそうですが、大酒飲みで、自分の身体の事を考えない、どうしようもない人だったみたいです。そしてお祖父ちやんも東大卒で東大の先生をやっていて、今も私大の非常勤講師をしていて・・・。お祖父ちゃんが、キミ子先生の本をもっていて、こんな先生のところへぜひ習いに行けと言われて、それでここに来たんです。お願いです。父の仏像の作り方を教えて下さい」という願いに、受けて立つことにした。
 家族の話をしてくれたのも初めてだし、八歳で死別した父に、私もこだわってしまった。  「お父さんの写真があったらもってきてネ」
 「ハイ!よろしくお願いします」と深くおじぎをして帰っていった。
 私が彫刻科卒だからといっても、仏像など作ったことがない。仏像の写真集やら、学生時代に研修旅行という名で、奈良や京都の仏像めぐりばっかりさせられた。自分でも奈良をはじめ、旅先では積極的に仏像を見歩いている。でも、作るなんてことは全く考えたことがない。

 翌日、約束どおり彼女は大学ノート半分くらいの、大きな父のカラー写真をもってきた。
 森を背景にした登山姿である。知的で自由人で、魅力的な人だが、引き延ばした写真なのか焦点がぽけている。とてもこの写真から立体化するのは難しい。U子さんに似ているのかどうかもわからない。
〈う-ん、こまった〉
 「U子さんの作りたい仏像ってどんなの?」と困って聞くと 「顔があって、頭が坊主のようで着物みたいのを着て、あぐらをかいているようで、背中がベローンと大きくて・・・」
〈奈良の大仏のようなのかな。フンフン〉
 U子さんのセリフに合わせて、私と二人で、フォルモねんどで作りあげていく。
 そこでふと、写真を見るのをやめて、人間の顔の作り方の説明をすることにした。
 今まで人物画を教えていて、いつも作者にそっくりな顔ができあがることを思い出した。  なんとなくペローンとした顔の形のねんどの上に、まず鼻を作る、鼻が鼻に見えるのには、大きな山と小山が二つ。そして小さな穴がニつ。
 父の写真に似ているかどうか、一切考えないことにした。普遍的な説明をすれば、作者の顔に似てくる。作者に似るとは娘に似る像ができるはずだ。
 鼻が出来た。
「わあ! お父さんの鼻だ!」
 鼻の下、ロまでの間を作る。唇を作る。あごを作る。
 「わあっ、お父さんだ、かわいいキャー似ている目ギャハハハ」
 ほっぺたを作り、目を作る。そしてひたい。
「ワハッハッハッ、ワッハッハ」U子さんは大声で笑いだす。
「一体どうしたの?お父さんにそっくり-かわいいお父さんがまるで生きているみたい」と涙をためて笑い出す。
「いとしいわ、かわいいわ、抱きしめたいわ。お父さんにそっくりよ」涙いっぱいの顔で、笑い声と言葉が続く。私も笑い声につられて、顔は笑っていたが、涙があふれてきた。
 涙を流して、一つの彫刻を間に顔を見合わせて、笑い合った。
「ハッハッハッ、ハッハッハッ、お父さんが生きてる」
〈あなたそっくりよ。お父さんはきっと、あなたにそっくりな人だったのね〉
 アートスクールは、この日が最後だった。
 それから一週間程して、アートスクール卒業制作展が開かれた。U子さんも出品者として受付に来てくれた。
 翌年入学希望の15歳の少年が見学に来た。その少年にU子さんは話かける。
「ねっ高等学校を出ていたほうがきっといいと思うよ。NHKの通信講座を受けない?今年たった一科目でいいと思うの。一番簡単なの一科目。何かあるでしょう好きな科目。英語はどう?」
 15歳の少年は無表情に答える。
 「イヤだ」
 「数学は?」。 少年は声も出さず首を枝にふる。
 「社会は?」。 困りきって、首を横に。
 「私、ずっと通信だったから、通信で高校も出たから、通信のすばらしさを伝える義務があると思っているの。一緒に勉強しましょうよ」とU子さんは語りかける。
 「やっと、やっと中学を出て、もうこれで勉強しなくていいとホッとしているところなので・・・」少年の傍らの母親は小さい声で説明する。
 それでもU子さんは 「キミ子方式もね、私、こんなにすぱらしいこと学んで、多くの人に伝えようと、それが私の、学んだ者の使命だと思っているの。お祖父ちやんがね。元大学の先生で、今も私立の短大で教えているんだけど松本先生の本を見て、「これはすばらしいからU子付ってみたらどうか」って。それで来たんです。キミ子方式って、とっても元気になる絵や彫刻ですよ」「ねっNHKの一科目、願書出しましょうよ。まだしめきりに間に合いますよ。私、明日又、一科目受けようと思っているの」
 勉強というセリフがU子さんの口から出た時、暗く沈んだ顔になった母と少年。
 でも、少年の方は、確実にうれしそうな顔になっていた。 「音楽は好き?」「保健は?」U子さんの追求は続く。
 若者が若者に誘いかける言葉って実にさわやかだ。少年の母も私も、何となくニコニコ顔になっていった。  U子さんには、お父さんそっくりの仏像がついているから、何たって強い。
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