エッセイ目次
 

No76
1995年7月4日発行


水産高校へ・イカの授業を

 春になると、久し振りの友達に会いたくなる。逗子市に住む、大学時代の友人、イタさんに電話した。
 彼女はここ5、6年、不眠症に悩んでいた。4年前に彼女に会った時、 「朝・昼・晩と不眠で、ついに薬を飲んでも眠れなくて・・・。」と言っていた。ガリガリに痩せ細っていて、目だけは輝いていた。
 私も不眠症で悩んでいる。夜と昼が逆になっているのか、クルマに乗ると、すぐ眠くなるので怖くて運転出来ない。電車の中で眠るクセが、クルマに乗って自分で運転していても眠る、と条件反射になったのかもしれない。
 それで、彼女から話の端々に不眠対策を聞いていた。ヨガがいいとか、瞑想がいいとか・・・」。
 彼女は、彫刻の作家活動のかたわら、近くの水産高校や農業高校で非常勤講師をしていると聞いていた。 「右脳で描く」のを実践していたら、絵が描けるようになったとか、キミ子方式の三原色でやったら描けたとか言っていた。

 「どう、キミ子方式は?」と、久し振りに電話したら、ちょっと元気がない。
 「う~ん、キミ子方式で、〈色づくり〉をやって、〈顔〉を描かせてキミ子方式しか通用しないってかんじなんだけど。何だかもう体力ないの。疲れちゃったから学校の先生、辞めようかと思っているの。」
 「もったいない、先生、辞めちやダメよ。それで〈色づくり〉の次に〈顔〉描かせたの? それは強引すぎるわね。私、授業やりに行ってあげるから、4月から〈色づくり〉〈もやし〉、〈イカ〉と、ゆっくりやってみようよ。
 農業高校生に、〈もやし〉や〈草花〉の授業は楽しいし、水産高校生には〈イカ〉の授業、最高じゃないの。」
 電話しながら、片手でスケジュール表を見て、「〈色づくり〉〈もやし〉と、あなたがやっておいてくれたら、私に〈イカ〉の授業させて。久し振りにあなたに会いたいし、海も見たいから。」というわけで、1995年5月11日、逗子市に出掛けた。
 駅にクルマで迎えに来てくれた彼女とモデルのイカを買いに「小坪」という漁村にクルマを走らせた。
 川端康成が焼身自殺したという、赤い屋根、白い壁のマンションを右手に、左手はちょっとした湾になっていて、海の香りがつ-んとする。
 魚屋さんが4、5軒ほど並ぷ。目の前の海で描れた魚が並んでいる。イカを見つけると、つい手で触り、品定めしたくなる。と、店員さんが「お客さん、触らないで下さい。鮮度が落ちます。」とパシッ!
 それで思い出した。はじめてパリに行った、18年前の4月の事だ。リンゴをお店で品定めしていたら、怒鳴られた。やはり、鮮度が落ちるから触れるな、ということらしい。モモやイチゴならわかるけど、リンゴやオレンジくらいならいいだろうと思ってた私が、バシッと否定されたのだ。
 水産高校の生徒は30人ちょっとだそうだ。3人に1パイとして、15ハイくらい買えば十分だ。さすが捕りたてのイカはうまそうだ。
 「今夜、1、2ハイは、刺身で食べちゃおうよ。」私は食べ物の方にどうも気がいく。
 「ちょっとスペインみたいでしょう」と言われて道路を見ると、背の高いシュロのような街路樹が統く。私のイメージでは、ナポリの海岸通りのような気がする。
 街路樹の右奥には、ヨットハーバ-付のリゾートマンション群が統く。
 「コスタ・デ・ソル(スペインの南の海岸)ってかんじね。」
 海に突き出た、夕焼けの入るレストラン、キャプティンズがあり、ティータイム。私の住む稲城市から、2、3時間しか離れていないのに、小旅行気分。

 翌朝8時10分には出発と聞いていたが、早朝に目が覚める。6時30分には夫君が出勤。 「行ってらっしやい。」と、声をかけたら、「よその奥さんに声をかけられての出勤だ。」と彼。
 水産高校まで車で30分。昼食用に玄米おむすびを作って出掛けた。
 この水産高校、美術室が無く、物理室と兼用である。小学校では空き教室がいっぱいという話を聞いていたが、高校は教室不足なのか、それとも神奈川県だけの話なのか。その物理室と兼用の部亘は、4人掛けの50センチメートルX1m80センチの木の机が2列で8コ続く。
 机の足が動かないよう金具で止めてある。ヒサンである。イカを床で描く夢はつぷれる。1つのテーブルに3人掛け。そこへイカのモデルを一パイ。
 8時50分になると、体の大きい男たちが、ゾロゾロ、黒いツメエリを来て現れる。
 イカの描き方の説明。そして描いてもらいながら、また説明。座席を自由にしていないので、たかだか30人の生徒たちが、塊で見えて来ない。一人一人バラバラなのだ。それで個人指導になる。
 「美術の時間は座席自由にしてよ。似た者同志がかたまるので、かたまりに教えればいいから、教えるのが楽なのよ。それに、教室のどこに席を取るかで、その人の今までの美術に対する想いがわかるわ。気持ちを理解するには、無意識の人の動きから。」と授業後にいうと、「昨年まで座席自由にしていたんだけど、友達同志おしゃぺりして、うるさいから。」と彼女。
 「本もいっぱい書いている、トモダチのマツモトさん。」と生徒たちに紹介してくれたけど、彼らはヒソヒソと、「ガイジン?」などと言っている。昔々、中学校の先生をしていた時、異人を見るような目付きで見られていた時を思い出して笑えてきた。
 イカの、頭のてっぺんのエンペラが、胴体に比べて小さいので、胴体に合わせて画用紙を足すと、今度は顔や足を描くところが足りなくなる。
 ここからが、さあ大変。机の上には四ツ切り画用紙、一人一枚分のスぺ-スしかない。机と机の間に画用紙を広げるしかない。それでも、その床の広さは3人分も無い。あとはメチャクチャ。
 突然、友人が大声をあげる。
 「モデルのイカにさわっちやダメ。これはうちの大事な夕ごはんのおかずなんだから。誰だ!イカをつぷしてはらわたを出したヤツは。」
 体重 38 キロ、身長1m 53 センチの彼女の体が、り-んと緊張して、バシッと大声が響きわたる。たちまち教室中が静まり返る。小さなヒソヒソ声だけだ。近くまで見にいったら、イカの身に穴があき、オレンジ色の肝が流れ出している。まるで幼児や小学生と同じだな。高校生といえども、トンボの羽をちぎるのと同じだな、と見て見ぬぶりをしていたのだが。
 そこへ、「これから、イカにユビ一本さわるな!」と大声を出された。
 〈・・・まずい、キミ子方式で描くのは、イカのさわり方を教えるためなのに。絵なんか描けなくても、さわり方がわかり、イカと仲良しになれれぱいい。そのさわり方がわかるために絵を描いて確かめるのに〉と思ったけれど、彼女が大の大人 30 人の男たちを大声で制する様はそれはまた、魅力的であった。
 「よく見なさいよ。」なんて言葉も聞こえ、キミ子方式にはそぐわない言葉なんだ、と思いながら、これも言えず、ただひたすらイカの足の長さと位置を教えて歩いた。
 絵の具をバンバン出させたので、生徒たちは「ヒューもったいない」と叫んでいた。その度に「ケチらない、ケチらない。」と、私は強引に出させた。
 2時間の授業が終わった。絵の具を片付けている様子は、とても丁寧だ。もしかしたら、授業が気に入ってくれたのかもしれないと思った。

 イカを描き終わった作品群は、廊下で乾燥させることにした。不思議なことに、何処からともなく教師や生徒がわいてきて、「キャー、イカだあ。」「面白い」「いきいきしてるね。」「わあ-、なにやってんのコレ。」「ズルイ。私たちこんな楽しそうなこと、去年やってない。」などと、ワイワイ・ガヤガヤと廊下が大騒ぎ。
 1クラスの授業が終わっても、ちっとも疲れていない。とてもさわやかだ。このさわやかさは、久しく味わったことがない。
 3.4校時もまた、イカの授業だ。机の上で胴体、床で足を描くのはやりづらいから、画用紙をあまり足さず、小さめに描かせようと作戦をたてる。
 次のクラスは女の子も数人いる。教室に入ってくる時は廊下のイカの絵を見たので好奇心に輝く目だったのに、モデルのイカの側である机につくと、どろ-んと無関心、無感動な顔になる。はじめのクラスもそうだったけど、日本の中学、高校、大学生は教室で集団になると、どうしてこうも無表情になってしまうのか。
 久しく学校の先生をやっていないと、ギョッとしてしまう。世界共通の若者の現象なのだろうか。ぜひ調べたいことだ。
 女の子がドロリンと、4、5人集まって、ポカッとっつ立っている。背の高い子の腕を引っ掘んで、私の近くまで違れてきた。「イタイ、腕放して。ああ、イタイ。腕、真っ赤に内出血しちゃったよ。」「ごめん、ごめん、おわびに絵を教えるね。」
 窓の外をボンヤリ立って見ている子に、「ハイ、おじょうさん。イカのそばに来て。」と、背中をパンパン叩いたら、私の手の平がチョークだらけだったらしい。「あっ、その汚い手でさわったでしょう。」と上着を脱いで、「ひどいよ、汚れちゃったよ。」「まあ気の轟に。」と友達。「チョークだから、すぐとれるわよ。ごめんなさい。おわびに絵を教えてあげる。」女の子たちも熱心に描き始めた。
 友達の絵にらくがきする子がいる。「ダメー。もったいないよ、傑作の上に。あなた(作者)も怒らなくちやダメよ。ぶん殴っちやいなよ。こんな失礼なことする奴は。」と、言いながらすばやく、らくがきを消す。

 授業が終わった。相変わらず、さわやかだ。2コマも、イカの授業を続けるなんてことは、ホント長い間やっていない。1日の労働時間は今では3時間しかもたない。それが、 10 分の休み時間をはさんで4時間もやってしまった。ちっとも疲労感が残らずに。絵の道具を片付け、机や椅子を片付け、机の上をきれいに拭き、生徒たちは教室を出ていった。
 わたしはきっと、うれしがっていたにちがいない。
 「オハルさん。ちっとも怒らないのね。私はがまんしきれなくなって、ドナッちやうんだ。美術の時間って、怒鳴り声は似合わないよね。楽しく創造なのに。」「イヤー、あなたのカツを入れる感じ、格調高くてかっこよかったよ。合気道で鍛えた発声法なの?」(彼女は長い間、合気道をやっていた。)「いいえ、弟が2人いて、私が一番上なの。つい、弟を説教する感じになってしまうんだね。」などと言いながら、あっという間に授業の後片付けが終わる。準備や後片付け、これがリズミカルにできると、絵を教えるのと同しくらい楽しい作業になる。「さあ、昼ごはんを会べよう。その間に絵が乾くでしょうから。そうしたら、廊下や教室に絵を貼りまくろう。」
 講師室で、朝用意した玄米に大豆とひじきを入れたおむすびを食べた。その部屋の隣には、日本間がある。そこに女子生徒が何人かいる。「玄米のおむすび、欲しい人?」と声をかけると、2人の女の子が「ハーイ。」「珍しい、初めて。」と持ってゆく。少ししてから、「先生、変わったおむすびあるとかで。私にも、いただけませんか。」と講師室に顔を出したのは、たった今、イカの授業を受けた生徒たちだ。
 授業中に見た彼女と、今の彼女は別人のようだ。昼休みの彼女の方がだんぜん、美人で上品で魅力的な若者だ。こんなに美しい人だったの? 教室で、授業を通して私の前にいた時はこんなに美人じゃなかったよ。小学校の先生をしていた 15 年以上前、「どうして、下校時になると、子供たちはいい顔になるのだろう」と不思議だった。でも、キミ子方式を考えて、生徒たちと絵を描いている時、「うん。放課後より、美人になった。美術の時間はサイコーの美男・美女に会える。」と、思っていた。だから、授業が楽しいのだ。ところが、イカの絵を描いている時より、おむすびをもらいに来た彼女の顔の方が、絶対に美人だ。
 つまり、私の授業は…。

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