エッセイ目次
 

No77
1995年9月4日発行


画集を作ろう

 通信講座の感想文は、どの方も文学者ではないか?と、うなってしまう名文が多い。
 どうしてだろうか? 絵を描き上げたあとの感想で、いいたいことがいっぱい溜まっていて、それが文章になってしまうのか。
 たった一人でテキストを読み、モデルを用意し、絵を描いて・・・。そのたった一人という孤独感のせいか、どの文章も魅力的である。
 とにかく、私は通信講座の手紙を読むのが楽しくて、添削日は仕事というより、お楽しみの日とさえ思っている。
 前々から、遠くで教室に通えない人のために通信講座のような形でお付き合いすることはできないだろうかと考えていたが、日々の雑務に追われて忘れていた。その、忘れていた通信講座を思い出させてくれたのは、一人の30代の女性との出会いだった。

 その方が、「私は今子育て中で先生のところへ教わりに行けません。つきかしては、私がテキスト「三原色の絵の具箱」(ホルプ出版)を参考に描いてみますので、見てください。」と、作品が郵送されてきた。そして同時に、上田市からリンゴを一箱送られてきた。リンゴが大好きな私は、おいしい上田のリンゴを食べてから、「このリンゴ、もしかしたら通信の授業料か?しまった食べちゃった」と後悔したが、もう遅い。手紙でその絵の感想を送ることにした。
 そうか、子育て中とか、病人がいて外に出られないという人がいるのだ。そんな人のために、通信講座を開いてはどうだろう?
 鹿児島に行ったときのことだ。「キミ子さんの『絵のかけない子は私の教師』(仮説社)を読んで、種ヶ島から来ました」という小学校の先生がいた。
 「エッ、あの鉄砲伝来の、海のかなたの種ヶ島?」と興奮して叫んだ。その方が東京に来るよりは鹿児島のほうが近いけど、その鹿児島でもせいぜい年に一回か、一年おきに一回くらいしか行けない。
 どんなに遠くにいる人でも、なるべく正確に伝わる方法、それは通信講座だ。
 キミ子方式は、描くための方法が理路整然としている。「気分をこめて」などの情緒言葉ではない。だから、添削の基準がはっきりしている。通信講座に向いている。

 実は、私は通信講座とラジオ講座の愛好者なのである。今だにラジオ講座を聞いている。
 勉強の楽しさを知ったのは、高校時代に聞いた、旺文社の「ラジオ・大学受験講座」
 学校から帰ると食事をして、まずは眠る。そして家族が寝た午後11時ごろ起きて、ラジオ講座を聞き、そのまま朝4時ごろまで通信講座で大学受験勉強。一寝入りして学校へ行く。学校は昼寝のためだ。コンピューターのない時代だったので、全国レベルがどの位か、自分のめざす大学に受かるのかは、通信講座のおかげで、多分、高校の先生よりくわしくわかっていた。
 「東京芸大を受けたいので、内申書を書いてください」と担任の先生に申し出たら、「冗談、冗談、ワッハッハッ」と笑って相手にされなかった。
 「えっ、この人に私の将来を握られているのか」と考えたら、ゾーっとした。
 通信講座で、東京芸大の学科科目は絶対合格すると採点されていたが、高等学校の定期試験は最低点さえとればいいと考えていたが。いい問題ではなかったからだ。
 だから、担任としては、定期試験の点数から、そんな高望みはよしたほうがいいと思ったのだろう。
 しかし、私は、全国レベルで生きているという実感を、ラジオ講座や通信講座を通してもっていた。
 とにかく、あの時、通信講座というものがなかった、北海道の片田舎から、東京の大学には受からなかっただろうと思う。
 そんな、自分の過去の思い出もあって、地方にいる人が、地方ゆえのハンディキャップをのりこえられるように協力したいと思った。 通信講座の開講だ。
 家族の作品を送ってきたり、妻も描いたので見て下さい。と、毎回、奥さんの作品も送ってきたり。
 「今月は雨の日が多く、子供に『絵を描こうよ』とせかされて、通信講座がはかどりました」とか。友人四人が受講され、みんなでつきに一度集まって、課題をこなすというグループもある。不思議なもので、毎回全員合格とはならず、人によって不合格のテーマが違う。

 さて、毎回楽しんで感想文を読み、絵を見て添削している時、その感想文のあまりの名文に、ふと「画集を作って見ませんか?今カラーコピーも安くなったし、ワープロも身近になったし、五部くらいの限定版の画集を作ってみてはいかがでしょう?通信講座で描いた作品と感想文を並べて・・・」と呼びかけ、そして、ついに実現したのである。
 四国の山根築子さん。キミ子方式「私の通信講座日記」だ。
 私の話にのって、築子さんはお兄さんにその話をした。お兄さんは写真館をやっている。甥の方もその話にのってくれ、編集をしてくれて、アルバム作りの要領で画集ができてしまった。
 アルバムのように、立派な分厚い紙。60部作ったそうだ。
 「はずかしくって、家に積んであります。」とのことだけど、あまりの立派さに、思わず「いくらくらいかかったの?」と聞いてしまった。
 「売って下さいという人も、ホント、まじめにいられるんでしょ。それで不思議ですね。本にしたら、急に尊敬されちゃって。友人に<私こんなことをしているんです>とお知らせしながら、普段のお礼に差し上げればと思っていたのですが、一番びっくりしたのは、私自身です。」
 築子さんは美容師さん。今年一月に、本屋に行って『三原色で描く・四季の草花』(山海堂)を見つけ、すみからすみまで一字一句読んで、通信講座のあることを発見した。そして、受講。
 第一回の作品提出が1月22日。最後の課題「誰かに教えて」を提出したのが5月15日。猛スピードである。そして、8月7日に画集発行。
 あとがきによると
 <生活に彩が加わって「52才から色に懲りだして」と言ったら人はびっくりすることでしょう>と書いてあった。
 一方、カラーコピー機を使って、手描きの文字で画集を作ったのは、アートスクールの生徒、田中由紀江さん。
 「(イカ)や、<木><ネギ>など大きくなる作品は、写真に撮ってから拡大コピーした方がきれいにできるのではないと思います」と書いてあった。
 絵が描けなかった人が描けるようになった。その喜びを展覧会をして友人知人に見てもらうのは、ふつうのことになった。
 これからは、どんどんたまってくる自分の作品を画集にして保存されたらどうだろう。
 築子さん、由紀江さんの画集は、キミコ・プラン・ドゥに置いてあります。どうぞ見て下さい。
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