エッセイ目次
 

No80,81
1995年12月4日発行


たくさんの花はいりません。 たくさんのものはいりません。

 沖縄の島仲さんから聞いた話である。彼女の友人が難病で入院していた。そこへ、島仲さんがネコジャラシが一本描かれた絵を、お見舞に持っていった。
 入院している友人は、その絵を見て、涙を流し
 「一本の草花、私にとって一本の草花がいいのです。」とすすり泣いたそうだ。
 「まるで、私のよう。たった一本、必死で野に根をはっている雑草は私のよう」と付け加えたそうだ。

   その話を聞いて、すぐ一つの場面を思い出した。
 キミ子方式を考えて二年め。あちこちの研究会で発表するが、無視ばかり。絶望した私は、密かに日本を逃げ出す決意をする。
 そのために、お金を蓄えるためと、これが日本で教える最後の授業と決意し、東京唯一の村、桧原村の中学校の産休補助教員をしていた。
 一日に2時間しか授業がないという、小さな学校だった。
 そのころ、そのあたりの中学校の合同美術展覧会が、近くの一番大きな市、五日市市のデパートで開かれていた。
 私は、キミ子方式が描いた生徒の絵を出展すべく、そのデパートに行った。
 画用紙の大きさは、四つ切大以下。そこに描かれているのは、タンポポ のわた毛一本、雑草一本。カボチャ 一個、ツタの葉っぱ一枚という作品である。
 20校近くの中学校の先生たちは、大きな画用紙いっぱいに描かれた、ハデな色の複雑な立派な生徒の絵をもって集まった。
 「なんだこれ?」と、不思議そうに私の持参した絵を見たような気もするが、私自身がすでに、
 「この広い デパートの展示場には、キミ子方式の絵は合わない。地味すぎる、小さすぎる。キミ子方式の絵は展覧会には向かない」と思っていた。
 一週間ぐらい開かれたその展覧会は、それぞれの中学校の美術の先生が、かわるがわる当番になって、会場の受け付けをすることになっていた。
 そして、私にも当番がやってきた。朝10時から、午後5時すぎまで、一日展覧会場にいなければならない。
 「ヨソの学校の絵は迫力があるな。それに比べて、タンポポ一本はなぁ・・・」と、会場に行くのが憂鬱だった。
 ところが、会場で一時間が 経ち、二時間を過ぎると
 「あれっ、なんだか、キミ子方式で描いた、一本野雑草の絵がステキに見え るなぁ・・・」
 昼が過ぎて、午後になると、ますますキミ子方式の絵、タンポポ一本がリンと迫ってくる。カボチャの絵が堂々としてくる。
 「あれっ、おかしいな。会場についてすぐ見た、ヨソの学校の作品は?」と見ると、まるでゴミ(ごめんなさい)のように何も訴えてこない、絵の具がベタベタついているだけに見える。
 そうか、キミ子方式の絵は、時間が経てばたつほど、しみじみ「いいなぁ」と思う絵なのだ。心にしみいるのは一本のタンポポでいいのだ。自分をはげましてくれるのは、複雑な形、たくさんのいろではない。一本の雑草なのだ。
 キミ子方式の絵を描いたすぐあとよりも、翌日に見直した方がステキに見えるし、一週間後は、さらに良く見えるし、一ヵ月後は、自分が描いたとは信じられない位、上手に見える。だとしたら、一本のタンポポの絵は自宅に飾るのがふさわしい。デパートの絵は一瞬に見過ごすので、ハデな色や大きさが必要だけど、自宅に飾る絵は、毎日毎日繰り返し見ることになる。
 その会場に一日いて、しみじみ、キミ子方式の絵に感謝した。

 思いがけず訪れた家で、
 「7年前にあなたに教わって描いたのよ」と、うれしそうに指差した壁に、モヤシ一本の絵が画ビョウでとめてあった。
 「8年前に描いて、今も部屋に貼ってあります」というモヤシの絵の写真を送ってくれた人もいる。
 一本のモヤシ、一本のタンポポでいいと思いながらも、たくさんのモヤシ、複雑な組み合わせに向かってしまう私。
 島仲さんの友人の話は、まいりました。
 「バラの花ではなく、その辺りにある雑草。しかも、たった一本。それがうれしい。生きる力がわいてきた」

 その時から、私は時々つぶやく。
 「たくさんの花はいりません。たくさんのものはいりません。」

 いつだったか、ニュージーランドで夏を過ごしていた時、ホームスティ先のママが誕生日を向かえた。
 家族はママの誕生日に、何をプレゼントするか話し合っていた。
 その朝、私は、家のまわりに咲く、雑草の花を64本(彼女の年齢の数)つんで、花束にし、彼女にプレゼントした。
 中学校の頃、 
 「こころ に太陽をもて、くちびるに歌をもて」という詩をつぶやいて、自分をはげましていた。
 大学受験の頃、作品づくりに立ち向かう時、
 「大胆に、そして繊細に」とつぶやいていたもの だ。
 最近は、
 「たくさんの花はいりません。たくさんのものはいりません」 とつぶやいている。
 二宮市のパッチワーク作家の前田順子さんに、
 「12月からペルーに行きます」と言ったら、「ペルー? 私も行きたいわ。行きたい国だったのよ」と強調されて、お誘いしていなかったことがわかった。
 締め切り一ヵ月前に定員オーバーで、キャンセル待ちが6人とのこと。行こうかと思っていた方がいたら、ごめんなさい。
 前田順子さんは、
 「ペルーは経済的には貧しい国ですね、貧しい国に行かないと私たちダメになっちゃう。貧しい国から教わることはいっぱいあるからね。何が必要で、何が無駄なのか・・・」と、つぶやいた。

 私のペルー行きを、みごとに言葉にしてくれた。
 心と体のぜい肉をおとすために、また、旅にでます。
 二か月、留守にしますけど、どうぞよろしくお願いします。
 「たくさんの花はいりません、たくさんのものはいりません。」
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