エッセイ目次
 

No103
1997年11月4日発行


不思議な一日

 晴れた日曜日の午後だった。めずらしく自宅に居られる日だった。アカシアの葉がちょっと色づいたのを確かめながら、秋の光を窓いっぱいにあびて、ちょっと休憩している時だった。
 電話が鳴った。家を出て三年になる三男へ「英語学校へ入らないか」という勧誘の電話だった。
 今、私は語学に興味をもっているので「あなたの英語学校の〈売り〉は何ですか?」と聞くと、電話の相手は「御存知のジョージタウン大学の言語学博士であるR博士の考えた、Rメソッドで教えます」と言う。私は思わず「私は、キミコ・メソッドという水彩画の絵の描き方を考えて普及していますので、そのメソッドに興味があります。一口に言ってどんなものなのですか?」と聞いた。キミ子方式を、初めての人に説明する時の緊張感を身体中に感じ、受話器を持つ手に力が入った。
 ところが、パッとした答えがない。
 「長い間、英語を勉強していても、ちっとも話せるようになりませんよね。時間がない方のために・・・」などの一般論を言うだけなので、「Rメソッドについて書かれた本があったら紹介して下さい。日本語になっているのがありますか?」「さあ・・・私は・・・」
 電話では全く要領を得ない。
 「Rメソッドについて書いてあるもの、あなたの英語学校のパンフレットなどありましたらファックスして下さい」と言って電話を切った。

 ほどなくして送られてきたパンフレットは四頁で「R博士独自の英語教授法」とか「R博士のRメソッドを駆使して、レベルの高い英語教育にあたっています」とか、R博士の写真入りの「日本のみなさまへ」の挨拶文があっても、独自の英語教授法の説明が全くない。
  〈キミコ・メソッドのように、三原色だけで、一点から隣へ、隣へと直接絵の具で描き、画用紙が足りなくなったら足し、余れば切る・・・とかいう、はっきりとした発想法とか教授法の説明がなくては・・・〉と、我が事のようにガッカリしたら、又、電話が鳴った。
 電話を取ると、先ほどの女性の声で「説明の上手な者に変わります」と、上司風の男性が電話に出た。
 「マツモトサンいいですか」が口癖で、Rメソッドのことではなく、日本の英語教育は、何年学んでも何故話せるようにならないのか、とテープレコーダーのようによどみない一般論。その上「先程の女性はアメリカで五年勉強してきた優秀なカウンセラーだ」と言う。
 「ワシントンDCにある世界一有名なジョージタウン大学・・御存知ですよね・・・」とバカにした感じ。
 「知りません」と私。「御存知ない? ワシントンに行かれたことは?」「ありません。私はRメソッドに興味があって、それを知りたいのです」というと「あなた、こちらから話している時、最後までちゃんと聞いて下さい」と、突然声高になった。
 「話の途中で、あなたの話がわからなくなったから聞いているんです。最後まで聞いていたら、途中でどんな疑問を持ったのか忘れてしまうんです」。
 〈でも相手が電話代を払うんだし、でも私の時間は失われるし・・・〉。早く電話を切りたいと思っていたら、ジョージタウン大学のすばらしさを語りつづけ、「キャンユー スピーク イングリッシュ?」と言ったようだ。しばらく聞く側に徹しようとしていたら、三回くり返すので「もしかしたら、質問しているのですか?」と言うと「そうです」といいたげだ。「ア リトル」と答えながら、その質問の発音は、私と似たり寄ったりで、英語とは思えなかった。あまりにしんどい。Rメソッドどころではない。
 人を見下す感じとお説教、それにひどい英語の発音。それで英語学校が成り立ったら、英語学校って甘いものだ。「ぜひ見学したい」と思った。そして翌日の月曜日、女子美術短大の授業が終わった後に見学に行くことにして、その旨を伝えた。「月曜日、八時、メモして下さいよ」と命令口調。「Rメソッドの説明と授業の見学」が約束だった。
 27才の次男が「行かない方がいいんじゃない? 何十万円という大金を払わされるのでは?」と心配してくれた。

 月曜日の放課後、女子美の研究室に集まった学生にその話をしたら、小学校三年生までアメリカにいたメグミさんが「面白そうだから一緒に行っていいですか?」と、私の話にノッテくれた。メグミさんは「アメリカの学校に行っている時、クラスの半分は左利きだった」と教えてくれた人だ。
 八時の約束に二分ほど送れて、新宿から五分ほどのビルの五階にある英語学校に行った。
 受付には愛想の良い黒人男性。住所氏名などを記入する小さなワラ半紙に5センチくらいの短い鉛筆。壁には外国人の講師たちの顔写真がびっしり。あんなに「絶対、約束時間を守れ」と命令しておきながら、しばらく待合室で待たされた。昨日の電話の女性らしき女性は、ハイヒール音高く、走り回っていた。
 ほどなくして「業務です」と表れたのは昨日の電話の主だった。
 うすい黄色のワイシャツ、みどり色のネクタイ、髪は橋本首相のようにカッチリテカテカに固めて、腕には真っ赤なベルトの腕時計で、メモ帳を常に身体に垂直水平に動かす。
 「ギョームさんというお名前ですか?」と聞くと、「いいえ、ギョームです」と表情も変えずに答える。スーツを着た昨日の電話の女性が、おどおどとついている。そして、昨日の電話と同じような説明が始まった。
 「世界一のジョージタウン大学」とか「世界一の上智大学」と何度もいうので「ホウ!」というと、「ホウ!とはなんですか。ホウとは」と脅かす。
 「知らなかったからです。それに世界一って誰が決めるのですか?」」と答えると「知らないんですか? 周知の事実です」とバカにする。
 Rメソッドは、一つのシュチュエーションの中で3つのやさしい英単語(動詞)を使って、いかにバリエーション多く表現できるかを学習する指導法だそうだ。
 「Rメソッドは少し解りましたので、ぜひ次は授業の見学をさせて下さい」と申し出た。
 「見学をするにしても、あなたのレベルを知らなければ。例えばプレエレメンタリーの人がアドバンスの教室を見ても意味ないでしょう。レベルテストを受けてもらいます。七つの段階のどの辺りだと御自分は思いますか?」というので、レベル1から順に見ていった。私は下から三番目の「外国人に道を聞かれても恐がらずに答えられる」にした。
 ギョーム氏は「本校はレベルが高いですよ」と、全部英語の受験票を差し出した。そしてその用紙に記入させられた。「名前」「年齢」と書いていき、「エディケーション」が解らなくて、となりにいるメグミに聞いた。彼女は「学歴かしらね・・・」とつぶやくと、ギョーム氏は「よくわかりました、最終学歴です」と得意そうだ。
 「ユニバーシティっていうスペル忘れちゃったからカレッジにするわ」〈他の言語〉〈他校の体験〉などを書く覧があった。書き終わるとその書類を持って「試験官が来るまで、しばらくお待ち下さい」と二人は立ち去った。
 「アメリカなら告訴ものですよね。思いっきりバカにしてますね」と若者のメグミ。
 「日本にいる外国出身の英語教師ってすごい収入で、五〇万、一〇〇万と稼げるみたい・・・。こんな態度で商売できるなんて信じられないよ」と私。
 「先生、私、あいつにとどめをささないとやりきれないですよ。英語でいっぱつ、くらわしていいですか?」とメグミがいうので「もちろん大歓迎よ」と話しているとレベルテストの先生が部屋に入ってきた。
 先生は、私の書類を見て「ニュージーランドの学校に行ったことがあるの? 僕はニュージーランダー。どこへ行ったの?」と聞くので「フィティアンガ・・・バッファロービーチに・・・」と言うと「クックスビーチに昨年初めて行って・・・」と、フィティアンガの地図を書きながら、ローカルな話題に盛り上がった。
 レベルテストは、英語の発音から、紙芝居のようなものを見せられての状況説明や、あなたがこの場面の母だったら何と言うか、など、五~十分のテストだった。
 終ったのは九時五分だった。丁度、この学校に来て一時間が終了した。メグミさんとニュージーランダーは英語で私との関係を語った。

 テストの結果を手にして、又あらわれたギョーム氏は「意外とできるじゃないですか」と言うや、「さあ、コースを選択します。2レベルコースと4レベル・・・」と言い始めた。
 「私はメソッドの授業を見学したくて来たのです。見学のためにテストをしたので、入会するつもりはありません」と言ったとたん
 「今日の見学は出来ません。今週のいつか、来週はどうか」と言う。「今日以外の日は来れない」と言うと「お疲れさまでした。お帰り下さい」。
 〈なんですって?〉とあきれていると、メグミが口を開いた。私は〈でた!〉と笑いをかみこらして下を向いていた。
 「キャン アイ セイ サムシング?」と三回繰り返して、キョーム氏はやっと彼女に目を向けた。それまで彼女の方には一度も目を向けなかったそうだ。
 「あなたはプロじゃない。自分ではプロだと豪語しているけど・・・いざ質問しても全然答えられないじゃないか。人に耳をかたむけられない人が、人にものを教えられるか!! こんなところやってられない!!」メグミは英語でまくしたてた。
 ギョーム氏は口をもごもごさせていたけど、実際わかっていたのだろうか。アメリカ五年の女性の方は、タイミングよくうなづいていたそうだ。「だから、帰ります!!」で、ギョーム氏はやっとうなずいた。
 彼女と私は、ドアをバタンと力一杯閉めて、外に出た。
 あ、楽しい一日だった。帰りに、クラブルーツのメンバーSさんの推薦の、石焼きビビンバ、スープ付・一五〇〇円を二人でたべた。美味しかった。
 私はヒマ人なのかもしれない。
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