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五月四日は〈キミコ・プラン・ドウ十周年記念パーティー&ありがとうコンサート〉だった。翌日は〈八〇歳の母が絵を描いたーあれから五年ー展〉の最終日。そしてその翌日は四日間の予定で韓国ソウルへ〈キミ子方式海外実践ツアー〉の出発だった。三泊四日、ホテル代込み、四三九〇〇円也。 |
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ソウルはさわやかな夏だった。 |
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○いよいよ授業 |
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○次の会場は |
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| ○三日目、絵画塾の塾長や 学院長たちと 今日の通訳は、大阪教育大学大学院で美術教育を勉強した金芝均さん。塾がやとった通訳だ。私も具さんに通訳をお願いした。 通訳の金さんが「キミ子方式の話は、よく日本の学会で話題になります。先生の『宇宙のものみんな描いちゃおう』のもやしのところまで読みました。」と勉強している様子。 カラフルな送迎バスで、ソウルの夕方のラッシュの中を一時間強かけて、シンキル美術学院へ。 四階建ての間口二軒ほどのビル。左右は商業ビル。都会の住宅事情はなかなかきびしいものがある。狭くて急な階段の壁には絵画作品。どれも額縁入りだが四つ切大かそれ以下の小ささ。小学校の作品よりも芸術風。 午前中は五才〜七才までの百五十名の幼児がきているという。一番広い部屋には石膏像がおいてあったり、石膏デッサンあり、デザイン画あり。垂れ幕には「キミ子方法とは何か」のハングル文字。今日は、美術教育協議会・教育研究会の分科会としてが開かれた。 大学からもらってきた黒画用紙や〇号の筆があり、昨日よりも太くて立派なもやしも用意されていた。ところが、昨日、私を取り囲み質問ぜめにした金延姫さんに運搬を頼んでいたビデオテープや本が届いていない。連絡もないそうだ。大変!。 さみだれに人が来る。美術学校や絵画塾の校長たちだ。キミ子方式の資料が全くなくて、キミ子方式の話をするしかない。私が語る、通訳が訳す、ついにキミ子方式体験者の具さんが大活躍で説明してくれる。三十分ほど話し、ビデオがないので「トンガ方式(一枚の画用紙に複数の人が一つづつ色をつくって描いていく)で、色づくりするしかない」と予定変更。机の配置も六つのグループになるように変えた。グループで一枚の絵を描いてもらう。グループに一つのパレットと一本の筆で、一人一色作ったら次の人に筆を渡す約束。そして、三原色と白でたくさんの色を作ろうと説明した。 しかし、あっと気がついたら、四人共がそれぞれの太い筆とパレットを出して、競い合うように一枚の画用紙に色づくりしているグループがほとんど。約束通りのグループはたった一つ。遅れてくる人があとをたたない。そこで一つのグループになってもらう。 講座開始一時間後に待望のメガネの金延姫さん、本とビデオを持って登場。七枚の絵が出来上がって、その作品を黒板にはり、ビデオを見てもらった。 「幼児にとって絵を描く意味は?」「材料費がかかりそう」「何才からやれるか?」などと、また質問ぜめにあった。 「何テーマやると、生徒はみずから描き出せるようになるか?」と聞かれたので 「十五テーマくらいかなぁ」と私。すると間伐いれずに 「その十五テーマは何と何か?」とメモを始めた。「十五テーマを教えに韓国へ来てほしい。いくら払えばいいか」。そこへ「待って!」と声をかけたのは昨日私を質問ぜめにした金延姫さん。 「まずは、本とビデオを翻訳して、それから韓国へ来てもらいましょう」。 その後、塾長たちの質問。、具さん、メガネの金延姫さんの熱弁。ハングル語だけが飛び交い完全にハングル語の世界。 「何を話しているの」と塾の通訳、金芝均さんにこっそり聞いたら彼女は苦笑しながら 「キミ子方式の自慢をしています」と教えてくれた。 |
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| 韓国の人は熱い!。つられてか私たちも日本にいる時よりも何倍も元気者になっていた。私も多部田さんも足の痛みも忘れていた。 韓国で一番必要だった言葉は「ちょっと待って下さい。」と「ゆっくり、ゆっくり」だった。そのハングル語は、今でも口をついてでる。 〈おわり〉 p.s 今、原稿の校正を電話で話していたら、割り込んで電話が入った。 その電話は韓国からで、「夏までには本の翻訳をしたいので、契約をしたい。明後日に日本に行く」というものだった。これらかの展開が楽しみだ。 |
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