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・ほいど・って何? |
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一九八二年八月、私は初めての本『三原色の絵の具箱』を出版した。それから一年ほどして、ある日電話が鳴った。「あのー、キミちゃんじゃないですか?やっぱりキミコセンセイだ。わたしミエコ。中学の時、英語を教えてもらっていた・・・」。 |
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絶対これはキミちゃんだ! |
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三人の中学生 |
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| 十年目の歌津町 ミエコさんのいない十年目の歌津町、今年は民宿に泊まった。すぐ前は海だ。 歌津に行って四年目からは、私の絵の会のために歌津町から予算をいただいた。しかし、ミエコさんの病気が発見されて、治療のために仙台の大病院の近くに彼女と子供三人が引っ越すことになった。でも歌津町では保育園で「キミ子方式」の絵が並び、町のリハビリセンターでは毎年一回「キミ子方式」の絵を描くことになった。最初の頃はミエコさんが仙台から教えに行った。私は電話で「キミ子方式」のレクチャーをしたりした。 それは今日まで続き、今は鶴岡貞子さんが教えに行っている。今年は「サンマ」の絵を教え、保健センターの〈健康祭り〉で展示されたそう だ。 それが毎年続いたおかげで、私は今年、その地域の保健医療研修会の講師によばれて行った。その翌日、十年振りの歌津町で絵の会が開かれることになったのだ。 時は秋、晴れている朝だが、山の陰の海は暗く淋しい。そこはカキの養殖場になっていて、ウキが海面に並び小舟がその間を行き交う。 そんな風景を見ていたら、突然ふと、もうミエコさんと、この町の入り江 フ風景を見ることもないかもしれないという想いがよぎった。そう思ったら、どうしても朝陽を見たくなった。海から昇る朝陽を見たい。隣室でまだ寝ている鶴岡さんを起こし、朝陽を見るために鵜島海岸の岬へ向けて車を走らせてもらった。 |
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