エッセイ目次
 

No126
1999年10月4日発行


2000年12月 アフリカ・チャドへ絵を教えに行こう
               2000年8月 グァテマラへ


 遂に、アフリカのチャドから招待状がきた。世界中の三原色の国旗の国の中で、最も訪問が困難な国だろうと思われていたチャド国から招待状が届いたのだ。
 大使館も領事館もない国、チャド。「一体、どこにあるの?」と聞かれるのはトンガ王国の比ではない。トンガは〈お相撲さん〉とか〈ラクビー〉とかで耳慣れている。でも、チャドは・?。
 「アフリカに渡すサハラ砂漠があって、その下に位置していて、チャド湖という大きな湖があって・」あとは皆目見当がつかない。
 「内戦は終わったの?」「戦争してるんじゃないの?」と聞かれても、「さぁー」と首をひねるばかり。
 「三原色の国旗の国だから行きたいのです。最も困難だと思うから、若くて元気なうちに行きたいのです。」と言っていたものの、あまりにも手がかりがなくて〈二〇〇〇年は実行できないかもしれない〉と思ったこともあった。


 約十年振りに、ベルギーでキミ子方式を教えていた松崎麻利子さん一家が日本へ帰ってきた。五月頃のことだった。
 「お帰りなさい」の電話のついでに、チャドへ行きたいのだけど、手がかりが全くなくて困っているとボヤいた。すると松崎さんが
 「アフリカのチャドへ緑の木を植えに行ってる知人がいるから、その方を紹介しましょう」と言ってくれた。そして後日、その方の住所と電話番号を書いた紙を持って、キミコ・プラン・ドウを訪ねてくれた。
 その方については、私は思い出がある。十年以上前、松崎さん夫婦が福島県いわき市に住んでいた頃、あるパンフレットをもらったことがある。
 そのパンフレットには「アフリカが急速に砂漠化している。何とか緑化しなければ、地球全体が砂漠になってしまう。アフリカの砂漠に緑の木を植える運動をしたいので、カンパを!」と書いてあった。
 私は「世の中には不思議なことに命を張る人がいるなぁ。それが松崎さんの友人だとは・」「それにしても、そんな夢のようなこと実現できるのかな?」と思った。
 その彼が〈緑のサヘル〉という団体を作り、夢を現実していたのだ。何という驚きだろう!
 さっそく、電話をした。運良く会の代表者である高橋一馬さんが電話に出てくれた。
 「松崎さんから話は聞いています。松崎さんとは旧友で、フランス滞在中は同じ農家に居候していたこともあり、日本のいわき市のお宅に泊めてもらったこともあります。それにしても松本さん、三原色の国旗の国へ絵を教えに行かれるとは、夢がありますね」
 「協力できることは何なりといたします」と約束してくれた。
 夢を実現させている男性との会話は、話がはずんだ。声の若々しさにドギモをぬかれた。
 その〈緑のサヘル〉のチャド事務所の方を通じて、カソリック教育省のようなところから、九月末に招待状が届いたのだった。
 「キミ子方式海外実践チーム」は、例年八月に実行していたが、アフリカのチャドの八月は雨期で、すべての交通が全く機能しなくなるそうで、道路は川になり車の移動も不可能とのこと。だから十二月に変更することにした。
 全く先の見えないことでも、〈夢に向かって願い、誰かに会った時にその〈夢〉を語れば、いつか実現できる〉。いつでも私はそうやってひとつひとつの夢を現実のものにしてきた。

 グァテマラからも招待状がきた。二〇〇〇年は忙しくなりそうです。


このページのTOPへ