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メキシコでの一番の仕事は山手の小学校だった。 |
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一つの学校で3回の授業を |
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| 教育省の役人が見学する中で 中学校では〈モヤシ〉を教えた。 果物の生ジュースを飲みに行った市場で、モヤシが売っていたのだ。前日、日本料理店でゆずってもらうよう約束していたが、その時のモヤシよりも、太くて、長くていいモヤシだった。 中学校・高等学校の美術の先生相手に〈色づくり〉の授業をした。 「今のメキシコの美術教育は大事にされていなくて、数学や国語の授業にかえられています。日本ではどうですか? メキシコは今、三時間しかないのです」と、教育省のおエライさん達を意識して言う。 私はおどろいて「日本ではずーっと二時間だったのに、最近、中学校では一時間のところもあるようです。」と答えると 「エーッ?」と、おどろいたので、 「メキシコでは、以前は何時間授業があったの?」と聞いたら六時間あったのだという。それには、こちらの方が「エーッ?」。 別の中学校では、パレット、筆、水入れも貸して、絵の具だけは学校が用意したものを使った。ところが、この絵の具がアクリル絵の具だったのだ。 「授業は中止。すぐにパレットを洗って! 早く洗わないと絵の具が落ちない!」と言ったら、教室のたった一つの水道に列をつくる。他のトイレが一つあるだけだと言う。 結局、洗えたのは少しだけ、残りは私たちが薬局からマニキュア落としを買ってきて、それで洗い落とした。 この学校は、教室に生徒が演奏するエレキバンドを入れてくれた。バックミュージックを流そうという案らしい。うるさくてかなわなかった。 平地の学校では、教育省の方々がゾロゾロと見学に来られ、長々とした挨拶が続き、授業が終わると生徒代表の挨拶とプレゼント。大きな果物カゴに入った、大きな果物や花束にはまいった。 メキシコ最後の授業は、車で二時間ほどの郊外へ行った。 博物館で教えたのだが、その博物館はゲームが出来る博物館で、すごい騒音が博物館中にひびいていた。ともかくうるさい。 午前は、新聞やテレビで呼びかけた定員限定三十名の幼児から大学生までが〈色づくり〉。 この博物館でじっくり授業をするのは夢の夢。巨大なゲームセンターの中での授業のようなものだ。 博物館長さんの子どもも参加していたらしい。 「あの、あきっぽい子、又、いなくなっちゃった。どこかに遊びにいったんだわ」と思っていたら、パレットを洗いに行っていたのだった。 騒音の中、全員が作品が出来上がったといいたいけど、一人の男の子、金髪でブルーの目の子が、たくさんの色ができたその上から、どうしたことかメチャクチャにぬりたくって、画用紙の上が灰色っぽくなっている。その絵を床に捨てていた。 私は黙って、全部灰色のその絵をてきとうな形に切り、ピンクと緑色半々の色画用紙を台紙として作り、そこに色こそ灰色だが、様々な形に切った絵を並べて貼った。金髪少年は黙って従った。 その絵を真ん中に、出来た作品を壁に貼った。少年も写真の中に入ったと思った。 ところが写真をうつした後に壁を見たら、彼の絵だけがない。作品が並んだ壁の真ん中が空白になっている。二枚の色画用紙を使った台紙は重くて、セロハンテープの押さえがきかなかったようで、床に落ちていた。あー。 メキシコでは九回絵を教え、キューバに移動した。 |
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キューバにて |
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| 議論しましょう。 その日の午後、芸術高校に行った。小・中学校はみんな一緒だけど、高校からは、自分の得意分野によって学校が分かれるようになっているらしい。 日本の美大と同じ雰囲気、豪華な建物だが汚い部屋、破れた窓、らくがき。「美大は世界共通ね。なつかしいわ」と言ったら笑っていた。 そこでやった〈色づくり〉の作品が、午前中の身体障害者施設の作品と、ほとんど変わらないできばえだった。 それを見た通訳さんがおどろいて叫んだ。 「面白いな、面白いなぁ、キミ子方式って面白いなぁ」 その時から、通訳さんは、私達のスタッフと同じ動きをしてくれるようになった。キミ子方式の説明にも一段と熱が入った。 その通訳夫人は日本の多摩市の小学校教員であった。小学校教師の時、私の本『三原色の絵の具箱』を買って下さって、小学校では実施したことがあったそうだ。そんな関係で今回、御主人が通訳をしてくれることになったらしい。 芸術高校では、生徒達がよろこんで話を聞いてくれたけれど、先生達の雰囲気が少し違う。 「明日は、生徒相手の実技ではなく、私達と議論しましょう」というのだ。 「議論はむなしいものになると思います。でもやりたいならやりましょう。でも、条件があります。その時、学生全員が傍らで聞いていること。公開討論会にしましょう」と提案した。そして「三時間全部を議論の時間にしないで、一時間は絵を描きましょう」と。 日本の美術大学ではじめてキミ子方式をした時と同じ反応なので、これも世界共通だなぁと思った。 その夜、大使館員の家に呼ばれ、夕食会だった。その席に、カストロ首相取材のためにワシントンからかけつけた北海道新聞の記者がいた。 翌日の芸術高校での議論の練習もかねて、北海道新聞記者に向かって「キミ子方式とは何か」を食卓で語り続けた。話を聞いて彼は「言われてみれば〈なるほど〉と思うけど、今まで誰も気づかなかったんだよねー」と関心してくれた。〈明日の討論会はこれで大丈夫〉。 翌朝、ちょっと緊張してかけつけた芸術高校では、教師たちがなかなか出迎えてくれない。やっとあらわれた、昨日「議論をしましょう」と言った女性教師は 「やっぱり生徒相手に実技の授業をしていただきます。私は本日いそがしいので、外出しますが・」という。せっかく昨日、記者さん相手に練習したのに、ちょっと残念。 キューバでも九講座、芸術高校には二回行けた。 作品のタイトルで、今までにないタイトルは、身体障害者施設での〈色づくり〉作品のタイトル 「不滅のキミ子」 このタイトルを見た時、不滅のカストロというセリフを連想し、思わずニヤリとしてしまった。 いつでも、どこでも、誰でも描けるキミ子方式。今回は五十名くらい集まった日本語学習者対象のギューギュー詰めの時もあったが。机の数が足りなくて三十名が限度だった。教室もせまい。 全部で十八講座をして、五四〇名以上の人が楽しんでくれたことになる。 五四〇名以上の人々の喜びをいただいて、私はとても元気。来年のガティマラ、チャド、韓国行きを夢見て、ワクワクしている。 |
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