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集合写真

スケッチ風景


奄美で出会った人たち

関澤澄子 東京都・キミコ・プラン・ドウ講師

  十一月に奄美大島に行ってきた。三月の奄美大島スケッチ旅行の下見で、田中一村の歩いた道、ホテル近くの町などを再び散策した。
  滞在はいつものホテル〈ばしゃ山村〉。去年の十一月、下見と膝の再術後のリハビリを兼ねて長逗留したときは雨の日に膝や身体がひどく痛んだ。去年のことをいろいろ思い出した。でも痛かったことより楽しかったことのほうが多い。

 去年、ホテルばしゃ山村の〈芭蕉の山・民族村〉の陶房でジンジャーの絵を描いていたら、民族村で三線(さんしん)を弾く島唄の師匠が、私の前に座り一日じっと絵を見ていた。地方公務員を定年退職した平田博三師匠だ。(私は尊敬を込めて「博三兄/ひろみあに」と呼ばせてもらってる)。
  やがて博三兄は「ぼくはね、本態性振戦(ほんたいせいしんせん)という脳神経障害になって、手が震えるようになったんですよ。ぼくの副業は賞状を書く仕事なので困っているけど、関澤さんはこんなに手が震えてどうして絵が描けるわけ?」とまっすぐ切りだした。
  私も同じ障害だ。脳の研究は近年とても進み、私も自分の震えの正体が解ったばかりだ。私は絵を描く為に震えについて調べに調べた。博三兄も書家なので同じだろう。目の前に現れたひどい震えの私に俄然興味津々になったのだ。
  私の手の震えは非常に珍しい生まれつきで、父、私、息子二人の遺伝性だ。後天性なら多少治療の見込みも有るかもと思うが、私の場合は無理なようだ。博三兄は大変悩んでいて、私が堂々と震えているのが不思議だったようだ。
  去年は、心労で手の震えも大きく、絵がなかなか進まないので、博三兄にたくさん奄美の言葉(島口)と島唄を教わった。翌三月の奄美大島スケッチ旅行の晩餐後、博三兄と、ばしゃ山村の敏子姉、陶芸家である大吾兄達が、参加者の皆さんに島唄と踊りを披露してくださった。
  博三兄とずっと一緒にいて、いろんな話をして帰り際「震えの兄妹ですね」と手を握りあい頭を下げあったら、頭をごっつんこした。この十一月は一緒にいられたのは一日くらいだったが、私には奄美にたくさんの兄姉がいて幸せだなあ、と思った。
  今回、去年のジンジャーの絵の仕上げだった。博三兄が「もし、手が震えなかったらどんなに描けると思う?」と聞くので私は「もし震えなければ他の仕事をするけど、治らないから気長につきあうことにするの」と言ったら「前向きじゃや」とほめられた。「関澤さんは手が震えるから絵が描ける」ということになった。キミ子方式だから楽しく描けるんですけど。

 奄美では名前に「さん」を付ける他に、親しい人には「おば」「おじ」「あに」「あね」を付ける。常務の福崎さんは憲俊兄。五年来のおつきあいになり、絵を描く私たちをいつもフォローしてくださっている。去年、術後の私を大変心配して、私を見ると「気をつけて、転ばないように」と注意してくれていたのだが、三日目くらいから全く姿を見なくなった。何日もホテルのスタッフ誰もが知らん顔しているのが不自然だなと思い、聞いてみると、足を滑らせて左足を骨折して入院したという。びっくりした。私と同い年だ。元気だけれど、転んだらどこか壊れる年代なのだ。一年後、憲俊兄も私もすっかり足が治った。私より回復が早い、と負けず嫌いだ。

 憲俊兄のいない間、博三兄ばかりでなく、ばしゃ山村の村長(社長)の奥篤次さん、奥様の都さん、社長の母上キネおば、都さんの母上で美人のヨツおばをはじめ、皆さんに親切にしていただいた。
  キネおばと都さん以外は〈ふるさと劇団〉で宴会のセレモニーの島唄と踊りを担当している。終わると皆で食事をしている。私は夜ヒマなので毎晩お邪魔していた。村長の話はほとんどジョークなのだが「奄美の言葉は遣唐使時代の言葉が残っている」ことや「蟄居させられた西郷隆盛と島での妻、愛加那」の話など、深く心に残っている。この度、スタッフ同士の話を漏れ聞いたのだが「お客さんの人数が少ないときはマイクを使わないほうが唄が心に響くでしょう」と言って肉声で唄うのだという。いつもいつもおもてなしの心を考えている人だ。言葉だけでなく、遣唐使時代から奄美が人と文化の交流の重要な拠点だった伝統を受け継いでいる。
  ふるさと劇団は、お客さんが食事を終えバスで帰るとき、踊りでお見送りし、夜九時を回っていても、バスが見えなくなるまで手を振る。私もまた仲間に入れていただいてお見送りだけご一緒した。
  あるときお客さんの女性が、着物にエプロン(私の普段着)姿の私の肩を抱きすくめ「ほんとうに楽しかった。お料理も美味しくて。また来ます。どうぞどうぞお元気でいてくださいネ」と言うので、私は「ありがっさまりょうた。またいもうれ」と言って握手した。後で踊り手のおばが「知りあい?」と聞くので「キネおばと思っているので代理でご挨拶しました」と答えたら大笑いになった。キネおばは八十二歳で島でも最高齢の大島紬の織り手だから間違われた私は光栄だ。

 私はずっと絵を描いてきたので、一人でいてもあまりさびしくない。友人も少し、心赦せる人がいればいいと思ってきた。でも、二十年前キミ子方式を知って学び始めるとすぐに友人が増えた。大切な友人が多いのは、とってもうれしいことだ。
  奄美大島の人はオープンマインドな人が多く、私が郵便局に行って出会ったおばあちゃんも「どこからきたの?」と聞いてすぐ仲良くしてくれる。そうした島の人の優しさがたくさん心に染み渡るのも、ゆっくり島にいて、じっくり一点からとなりへとなりへと見て描いているからなのに違いない。三月に奄美大島スケッチ旅行に参加した皆さんも、それぞれの奄美を描き、奄美の人と仲良くなっていた。
  孤高の画家、孤独を愛した画家田中一村ほど、奄美の魅力を多くの人に知らしめた人はいないと私は思うが、一村はどれほど奄美の人たちから恩愛を受けたことだろう、と思わずにいられない。
 
  今度は二○○七年三月二日三日四日、金土日の三泊四日です。第五回記念として、私の師、川合京子さんと二人でご案内します。春の奄美へ行って絵を描きましょう。

●田中一村の本;『絵の中の魂』湯原かの子著・新潮社