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日本中の人が西から東へ、北から南へ、また海外へと移動するゴールデンウイーク。 松本 一郎
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このツアーの立案者である伊藤さんは、愛知県安城市にある〈子どもの本の専門店「花のき村」〉の店主で、ボクがまだまだキミ子方式を教えだした頃に、本屋さんの三階のイベントスペースでキミ子方式の定期講座を八年間、開催して下さった人。ボクは伊藤さんのイベント屋としての実力に敬服していて、その彼から「中国に行かない?
ツアーのコンダクターはボクがするから」とお誘いをもらったので、二つ返事でツアーを企画しました。パンフが出来て、募集をかけ、少しずつ参加者が集まってきた四月中旬。中国では大規模な反日デモが北京を中心に行われ、それが上海へと飛び火していました。マスコミの扱いも投石を受ける日本料理店や、日本大使館を写し、そこだけ見たら中国全土が日本人に対しての憎悪を向けているかのようです。ツアーに申し込んでいた人からもキャンセルが相次ぎました。伊藤さんからも「今回のツアーを中止にする?」と相談を受けました。しかしボクは、こんな時だからこそ、現地を見てみたいという思いがありました。 インターネットが流行りだしてから〈メディアリテラシー〉が叫ばれています。もともと、大本営発表の情報に対して、自分が目で見て、手で触ったこと以外は、あまり信用しないというスタンスで生きているので、その現場に自分がいられる、またとないチャンスと考えていたからです。でも、ツアーの責任者としては参加者に何かあってからでは遅いので、北京に住む友人に連絡を取り、旅行会社の担当に情報を集めてもらって、今回のデモは一過性のモノだろうと、ツアーの決行を決めました。 |
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出発日当日の三十日、成田から出発する六名が集まり、北京に向け出発。北京国際空港には、二時間遅れで名古屋から出発した四名が出迎えてくれました。 全員が集まり、バスで移動。夕食をとってホテルに到着です。 その日は雲一つない晴天で、日差しも強かったので午後一時にはみんな描き終わって、バスに戻りました。
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朝の散歩 |
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その日の夜、同室の伊藤さんに「朝からバスに乗せられ、お昼はココ、何時まで。スケッチする時間を考えずに、お土産屋に寄り、夕食はココ。ホテルに帰って解散じゃ、まるで画用紙の大きさが決まっていて、その中で楽しんでねって感じがしちゃう。せっかくキミ子方式のツアーなんだから、自分に合わせて切ったり足したりできるようなスケジュールじゃないと、息が詰まっちゃう」と訴えました。そこで、二日目、三日目は、当初の予定ではなく、もう少し緩やかなスケジュールに組み直すことにして、二日目の朝に現地ガイドにその旨を伝え、やっと自分のペースで動けるようになりました。 |
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二日目は〈故宮〉を見学して、古い町並みが残るフートン地区でスケッチ。三日目は三グループに分かれてそれぞれが観光をしたり、ホテル近くの小学校の門を描いたり、と北京を楽しみ、時間を過ごしました。 北京の町は、オリンピックが開催される準備で、古い建物を壊して近代的はビルに立て替えている真っ最中で、いたる所が建設中のビルばかり。自転車が道一杯に広がって・・・というイメージでしたが、それもなく、たくさんの車がかなりのスピードで走っていました。 毎朝、朝食前にホテルの周りを散歩したのですが、大衆食堂に朝食を求めて集まる現地の中国人や、ゴミを集めている人々に、やっと中国らしさを見いだして、ボクは、観光地よりもそういう何気ない日常の風景が好きなんだなと実感しました。 そして最終日、名古屋空港へ帰る参加者の乗るバスを見送り、少し遅れて成田組もバスで空港に向かいます。空港までに道すがら、高層ビルの谷間をバスは走り、一瞬、東京なのか、北京なのかわからなくなってしまいました。 |
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二〇〇七年の北京オリンピックの頃には、もっと町が整備されるでしょう。建物や町はどんどんと変貌していきます。しかし道端に咲いている草花は、きっと毎年形を変えずに、咲くことと思います。自然は、人に力ですぐに変えられるものではないからこそ、寄り添うのに値するのかもしれません。そんなことを帰り道の北京の高層ビル群を見ながら考えていました。 来年のゴールデンウイークには、ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークでスケッチと、美術館巡りを考えています。旅の予定もキミ子方式のように切ったり足したり、自分に合わせて動けるツアーにしたいと思ってます。 あなたも参加しませんか?
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